Zero Sum

元号が「令和」になりました。7世紀の「大化」から使われているこの元号、当時のルールが今にも適用されていることに、歴史を感じざるをえません。私が最初の感じた印象は、光線のRayからシャープな音感だなあ、と思いました。
ネットでは、令を零として、0 プラス(+) だとか、ホリエモンこと堀江氏の著書「ゼロ(なにもない自分に小さなイチを足していく)」といったことが話題となってました。次の時代を考えるのにこういう思考には私も同感します。(すでにあるものに掛け算する思考ではなく、足し算する思考。ゼロに何をかけてもゼロ)
あとゲーム理論のゼロサム(零和)ゲームも話題になっていました。ゼロサムというと総和するとゼロという考え方なので、富を得るためには、他から富を奪わなければならない、という意味にもとれます。しかしその中で均衡点を見出す理論でもあり、調和の理論でもあるように思います。簡単な例を以下に作ってみました。

A社とB社のソフトウェアが市場のほとんどをシェアをとっていることを前提に、それぞれの会社が新機能をとりいれたバージョンアップをするときと、普及のため廉価バージョンを販売するときとで、どのようにシェアが変動するかをシミュレーションしたものです。
A社はB社がバージョンアップ した場合、A社もした場合70%のシェアを得られますが、値下げした場合は60%になってしまいます。B社が値下げした場合は、バージョンアップした場合35%、値下げで対抗した場合、45%となります。
A社の新機能は優秀で、B社は値下げに対して柔軟に対応できる、という読み方もできます。
A社はB社の出方に応じて戦略を変える必要がありますが、B社はA社がどちらを選択しても値下げをとることが得策となります。(絶対優位の戦略)
実際にはもっと多数の条件があり、ソフトウェアの機能と価格のバランスによって、ユーザの購買意欲につながるわけですが、結果的にはその実力にふさわしいシェアとなります。つまりこのバランス(均衡点)とかけはなれた戦略をとるとシェアを上げることができない、ということになるのではないでしょうか。

時代の空気をリセットする効果があると言われる新元号。日本中の人が平成の時代をふりかえり、次の時代のことを考えるこの瞬間があることは、素晴らしいことだと思います。平成最後の日は雨で、令に雨がついて、ゼロスタートという人もいますが、昭和の時代も戦後何もなくなったゼロからのスタートでした。経済が低迷する日本ですが「和」を同じくする令和も、過去の栄光は忘れてもう一度ゼロから積み上げる思考が必要だと思います。

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